データ番号 43
撮影地点 今立町大滝
撮影方向 東北東側から撮影
建物等の名称 大滝神社
画像
 これは大滝神社内から鳥居を撮影したものです。当時、今立町では山崩れの発生により一瞬にして11棟の家屋が倒壊し、14名が生埋めになり、うち10名が死亡するという大きな被害を受けました。そして、この大滝神社にも土砂が押し寄せて大きな被害を受けました。右の写真は現在の様子であり、鳥居などもつくり変えられています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 三大風水害の記録 昭和40年9月
写真提供 福井県
データ番号 44
撮影地点 大野市佐開
撮影方向 西側から撮影
建物等の名称 佐開橋
画像
 これは佐開橋を左岸下流側から撮影したものであり、真名川の満水によって左岸取付部から破壊、流失しました。右の写真は現在の様子であり橋はつくり変えられています。また、現在の写真の手前に見えるのは40.9三大風水害の記念碑であり、当時の様子などが記録されています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 九頭竜川流域誌
写真提供 九頭竜川水系百周年記念事業実行委員会
データ番号 45
撮影地点 大野市新在家
撮影方向 西北西側から撮影
建物等の名称 清滝橋
画像
 これは清滝川に架かる清滝橋を写したものです。当時の集中豪雨は田畑を流し、電車のレールも激流によって川につかってしまいました。今回の災害で福井電鉄大野線は大きな被害を受け、運行不能になりました。右の写真は現在の様子であり、当時の清滝橋は現在もなお利用されています。また、京福線は当時より上流側に線路を移しています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 三大風水害の記録 昭和40年9月
写真提供 福井県
データ番号 46
撮影地点 大野市堂本
撮影方向 側から撮影
建物等の名称 衛生処理場(投入室)
画像
 これは真名川左岸に位置する衛生処理場を撮影したものであり、当時は真名川堤防破壊のためし尿投入室が倒壊、施設内に土砂、流木が流れ込み使用不能になりました。このためし尿投棄場を市内横枕地系に設けてし尿の不衛生処理を行いました。右の写真は現在の様子であり、施設は新しくなり、堤防が設けられています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 三大風水害の記録 昭和40年9月
写真提供 福井県
データ番号 47
撮影地点 大野市富田
撮影方向 北北西側から撮影
建物等の名称 富田小学校
画像
 これは台風23号によって全壊した富田小学校の様子です。また他の教育施設の被害としては、奥越豪雨によって西谷村の中島小・中学校が土砂流入のため全半壊するという被害を受けました。右の写真は現在の様子であり、コンクリート造の校舎になっています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 三大風水害の記録 昭和40年9月
写真提供 福井県
データ番号 48
撮影地点 勝山市遅羽町比島
撮影方向 側から撮影
建物等の名称 京福電鉄勝山駅
画像
 これは勝山駅の状況を撮影したものであり、当時の駅前は腰まで増水し、上流側から大量の木材が押し寄せました。右は現在の様子ですが電車は運行していません。
当時の様子 現在の様子
参考文献 三大風水害の記録 昭和40年9月
写真提供 福井県
データ番号 49
撮影地点 勝山市遅羽町逢生
撮影方向 南南東側から撮影
建物等の名称 勝山橋(頭竜川左岸堤防)
画像
 これは勝山橋上流左岸を撮影したものであり、当時は千代田堤防が約80mにわたって決壊し、濁流によって10棟の家屋が流失するとともに工場が半壊しました。この日、千代田区には避難命令が発令されました。写真内の点線は堤防があったところです。右は現在の様子です。
当時の様子 現在の様子
参考文献 災害の発掘 −風化する被災体験を求めて−
写真提供 福井県
データ番号 50
撮影地点 武生市戸谷町
撮影方向 南南東側から撮影
建物等の名称 八幡神社
画像
 これは戸谷町の八幡神社拝殿を撮影したものであり、山崩れによって倒壊しました。武生市は9月19日に災害救助法の適用を受けました。右の写真は現在の様子であり、新しく建てかえられています。
当時の様子 現在の様子
参考文献 災害の発掘 −風化する被災体験を求めて−
写真提供 福井県
データ番号 51
撮影地点 福井市下江守町
撮影方向 側から撮影
建物等の名称 朝宮橋
画像
当時の様子 現在の様子
 これは日野川に架かる朝宮橋を撮影したものです。当時は日野川の増水によって流失寸前になりました。上流の奥越地方で降った雨のために、足羽川を除いて増水し、14日から15日にかけて警戒水位を突破しました。右の写真は現在の様子です。
参考文献 災害の発掘 −風化する被災体験を求めて−
写真提供 福井県
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