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データ番号 |
65 |
撮影地点 |
珠洲市正院町飯塚 |
撮影方向 |
南南東側から撮影 |
建物等の名称 |
火宮神社 |
画像 |
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これは、正院町の火宮神社を撮影したものです。地震によって裏山の土塊が崩落し、基礎を滑らせて本殿と拝殿を斜め後方から押し出すとともに、本殿が拝殿を押し倒したとされています。右は現在の写真であり、当時全壊してしまった神社は新しく建てかえられています。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
66 |
撮影地点 |
珠洲市飯田町 |
撮影方向 |
南東側から撮影 |
建物等の名称 |
春日神社 |
画像 |
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これは春日神社の鳥居を正面から撮影したものです。この鳥居の柱は地盤に直接差し込まれていたので、貫の中央部か端部が曲げ破壊し、貫が落下したといわれています。右は現在の写真であり本殿は市指定登録文化財になっています。
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
1993年 釧路沖地震・能登半島沖地震 災害報告書 |
写真提供 |
土質工学会 |
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データ番号 |
67 |
撮影地点 |
珠洲市正院町 |
撮影方向 |
南側から撮影 |
建物等の名称 |
須受八幡神社 |
画像 |
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これは須受八幡神社を正面から撮影したものです。鳥居の柱脚部分が折損し、倒壊してしまいました。右は現在の写真であり、鳥居が新しくなっています。
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
68 |
撮影地点 |
珠洲市蛸島町 |
撮影方向 |
東南東側から撮影 |
建物等の名称 |
三崎海岸 |
画像 |
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これは三崎海岸を撮影したものであり、海岸砂浜部の液状化現象(噴砂)によってできた穴が何箇所も確認できます。これはこの海岸のあちこちで発生し大きなものでは、直径が2m近い穴ができました。右は現在の様子であり、穴は全くなく、海藻が漂着していました。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
69 |
撮影地点 |
珠洲市狼煙町 |
撮影方向 |
南南西側から撮影 |
建物等の名称 |
前川橋 |
画像 |
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これは前川橋を南南西側から撮影したものであり、橋の取付部と道路の間に段差が生じました。右は現在の様子ですが、橋は当時のままであり、アスファルトの舗装によって段差を無くしてあります。また、数m下流には新前川橋がつくられています。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
70 |
撮影地点 |
珠洲市狼煙町 |
撮影方向 |
東南東側から撮影 |
建物等の名称 |
前川橋取付部護岸 |
画像 |
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これは、前川橋取付部の護岸を撮影したものであり、護岸が破壊されていました。右は現在の様子であり、当時破壊しなかった部分の護岸も全て新しくつくり変えられました。近辺の様子も変わっていません。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
71 |
撮影地点 |
珠洲市折戸町 |
撮影方向 |
南側から撮影 |
建物等の名称 |
大谷狼煙飯田線の法面 |
画像 |
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これは海岸沿いにある法面であり、法面の裏にあたる写真右側が海岸になっています。当時は、地震によって法面が崩壊しました。右は現在の様子であり、崩壊を防止するために法面が保護されました。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
72 |
撮影地点 |
珠洲市川浦町 |
撮影方向 |
東北東側から撮影 |
建物等の名称 |
川浦海岸 |
画像 |
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これは川浦海岸の護岸を撮影したものであり、護岸が海側に傾斜したことによってブロックがずれている様子が分かります。この海岸では、他の地点でも護岸の傾斜が確認されました。右は現在の様子であり、護岸の傾斜も整備されました。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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データ番号 |
73 |
撮影地点 |
珠洲市折戸町 |
撮影方向 |
北西側から撮影 |
建物等の名称 |
木ノ浦トンネル |
画像 |
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これは木の浦トンネルの被害の様子であり、この被害はこの地震における最も甚大な被害であったともいえます。このトンネルは能登半島周遊の観光道路でもある主要地方道大谷狼煙飯田線内唯一のトンネル(全長76m、幅6m)です。地震直後に折戸方向から25m入った地点で天井部が崩壊しました。始めは、反対側の坑口が見通せる状態でしたが、その後の余震によって崩壊が進み、坑内は完全に塞がれてしまいました。この被害によって、約2ヵ月半の完全通行止めとなりました。右の写真は現在の様子であり、復旧されています。 |
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当時の様子 |
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現在の様子 |
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参考文献 |
平成5年(1993年) 能登半島沖地震の記録 |
写真提供 |
石川県土木部 |
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北陸地方の災害 へ |
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