データ番号 74
撮影地点 富山市鵯島
撮影方向 北西側から撮影
建物等の名称 富山大橋
画像
 これは神通川に架かる富山大橋を撮影したものであり、橋脚の一部が強い水流によってもとの市から2.5m沈下し、路面がV字型に陥没してしまいました。右は現在の様子であり、被災から約1年かけて改修されました。昭和11年に架けられたこの橋は市のランドマークにもなっていますが、老朽化による架け替えのため約10年後には姿を消す予定です。
当時の様子 現在の様子
参考文献 けんせつほくりく 1998.7月号 北陸の歳時記
写真提供 北陸建設弘済会
データ番号 75
撮影地点 宇奈月町宇奈月
撮影方向 北西側から撮影
建物等の名称 宇奈月温泉街
画像
 これは黒部峡谷の宇奈月温泉街を撮影したものです。ここは富山県で唯一温泉街が形成されている場所であり、観光名所として知られていますが、水害直後は愛本えん堤から溢れた濁流で、あたり一体が泥の海と化し、大きな被害をうけました。当時の写真からは、最大流量5661m3/秒(愛本)を記録した激流の様子がうかがえます。右の写真は現在の様子です。
当時の様子 現在の様子
参考文献
写真提供
データ番号 76
撮影地点 宇奈月町愛本(当時の様子の写真とは撮影地点が異なります。)
撮影方向 西側から撮影
建物等の名称 愛本堰堤
画像
 これは愛本えん堤を撮影したものであり、当時のえん堤は昭和7年に築造されたものです。このえん堤は幾度も洪水に遭遇しそのたびに補強と改築を繰り返してきましたが、昭和44年の水害で大損傷をうけ、その教訓から根本的な改築が必要とされたため、昭和47年に旧えん堤の150m上流に現在の愛本えん堤が完成しました。当時のえん堤は残されていません。
当時の様子 現在の様子
参考文献
写真提供 国土交通省北陸地方整備局
データ番号 77
撮影地点 黒部市荒俣
撮影方向 南西側から撮影
建物等の名称 黒部川下流JR橋
画像
 これは黒部川下流に位置する国鉄(現JR)の橋梁を撮影した、ものであり当時の出水量の多さを物語っています。この水害は河川の水位が堤防より低かったにも関わらず、急峻な地形を一気に流れ下った流水のエネルギーで堤防が破られ、下流沿川の市町に大きな被害をもたらしました。右の写真は現在の様子であり水位の低さが目に付きます。
当時の様子 現在の様子
参考文献 黒部川と名水
写真提供 黒部市役所
データ番号 78
撮影地点 黒部市荒俣
撮影方向 南側から撮影
建物等の名称 下黒部橋
画像
 これは黒部川下流に架かる下黒部橋を左岸側上流から撮影したものです。当時は橋桁のすぐ下まで水位が上昇していました。右の写真は現在の様子であり、当時と同じ形で存在しています。 水位はかなり低く川床が見えているところもあります。
当時の様子 現在の様子
参考文献
写真提供
データ番号 79
撮影地点 立山町藤橋付近
撮影方向 西南西側から撮影
建物等の名称 称名川藤橋付近
画像
 これは富山地方鉄道立山駅近くの藤橋付近の称名川を撮影したものであり、当時この付近に架かっていた橋は激流によって流されてしまったそうです。右の写真は現在の様子であり、新しい橋が架かっており、当時の写真右側の道もなく石段状の法面になっています。
当時の様子 現在の様子
参考資料 立山砂防 砂防総合情報センター
写真提供 国土交通省 北陸整備局 立山砂防事務所
データ番号 80
撮影地点 立山町立山駅付近
撮影方向 北東側から撮影
建物等の名称 富山地方鉄道橋
画像
 これは常願寺川に架かる富山地方鉄道橋を下流側から撮影したものであり、当時は常願寺川の増水によって流失寸前になりました。右の写真は現在の様子であり、水位がかなり低く河川内の石ばかりが目に付きます。また、現在この橋の上流側には真川大橋が架かっています。
当時の様子 現在の様子
参考資料 立山砂防 砂防総合情報センター
写真提供 国土交通省 北陸整備局 立山砂防事務所
データ番号 81
撮影地点 立山町千垣
撮影方向 西南西側から撮影
建物等の名称 本宮砂防ダム
画像
 これは本宮砂防ダムを下流側から撮影したものであり、ダムを越流して出水している様子が分かります。本宮水位観測所が出水で破損、流失したため正確な水位量観測は不可能となりました。よって、洪水痕跡によりピーク水位は7.98mと推測されています。右の写真は現在の様子ですが、本宮には砂防ダムがいくつもつくられていたため当時と同じダムは特定できていません。
当時の様子 現在の様子
参考資料 立山砂防 砂防総合情報センター
写真提供 国土交通省 北陸整備局 立山砂防事務所
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