久保英一氏の体験記

1.地震前の状況

 朝からどんよりと曇った非常に蒸し暑い日だったと記憶しています。その時、私は夕飯前の一時を座敷に続く縁側で二歳になる妹と遊んでいました。いつも遊びに来ていた近所の飼い犬(ジャッキーと呼んでいた)が来て、何分間かじゃれ合っていました。ジャッキーが庭先から出ていこうとしたので、私は妹を背負って庭先に三,四メートルほど追いかけました。
 「ジャッキー、バイバイ」
と言って見送り、見えなくなったので家に入ろうと振り返ったその時でした。

2.地震発生

 どんよりとしていた雲が一段と暗くなり、どこからともなくゴォーと地鳴りがしたかと思うと、急に身体が宙に浮き上がり二,三度上下に揺れて地面に引き倒されてしまいました。それは一瞬の出来事でした。地震についての知識がなかった私にはいったい何が起こったのか全く分かりませんでした。

3.液状化現象

 何秒かの茫然とした時間が過ぎて、我に返り、夜かと思わんばかりの暗さの中を目を凝らして見ると、足元の地面から噴水のように水が吹き出ています。辺りを見回すとモウモウと土煙が立ちこめ、その中に崩れ落ちた家がありました。母親の
 「地震や、地震やざ!早よう逃げんとあかんざ!」
と叫ぶ悲壮な声がします。

4.避難

 夕飯の支度をしていた母が壊れた台所から這い出して来て、一緒になって隣の近所の家の畑へと逃れました。みんな電車道(京福電鉄の軌道)にいるという情報で私達もそこに行くことにしました。父と姉はそれぞれ外にいて、難を免れたとのことで、幸い家族全員が無事でした。余震の続く中、電車道での生活が一週間ほど続きました。水や食べ物がなく、虫や蚊に悩まされたことを覚えています。

5.犬との出会い

 ジャッキーとの出会いは、私と妹にとって運命的なものだったと思います。家の一階が潰れ二階が座敷や縁側を押し壊した状況を考えると…、ジャッキーが来なかったならば…、ジャッキーの導きで命拾いをしたのだと思っております。数年後老死した恩犬、ジャッキーの冥福を今も祈り続けております。

6.その後の生活

 電車道の露天での生活の後、庭の片隅に廃材を使ってバラックを建てて住んでおりましたが、十月になって家を新築することになりました。
(注:バラックとは粗造りの仮小屋のこと。)
 建築に当たっては私も子供ながらに屋根の木端打ちや壁塗りなど、できることは何でもやりました。
(注:木端とは材木の切れ端。こっぱ。)

7.福井地震を体験して

 築後五十年、今日までに何度か建て直す機会がありましたが、増改築をして今も住んでおります。それは、苦労して建てたという思い出と同時に地震での体験が時と共に薄れ、また世代が交代することで消えて行ってしまうなかで、何か形として残しておきたいとの思いが相俟っているからこそに他ありません。

8.震災当時のわたし

年齢…十二歳
職業…中学一年生
被災場所…西瓜屋の自宅の庭先