福井地震とは
- 福井地震の概要
- 1948年6月28日、午後5時13分(当時はサマータイム制度をとっていたため、現在の時刻では午後4時13分)福井県丸岡町を震央とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。この地震で、当時の気象庁震度階級では最大であった震度6を記録し、その後、同階級に震度7が追加制定され、2年後の1950年には建築基準法が制定されるなど、震災後の地震学、地震工学、耐震工学に大きな影響を与えました。県内の被害地域は、今立郡から福井市を経て、金津町に至る南北約60km、東西約20kmの一市六郡に及び震源域内はまさに壊滅状態だったといえます。被害者数および被害家屋数等は、1995年に起きた兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に次いで戦後2番目となる大きな被害をもたらしました。鉄筋コンクリート構造物にも大きな被害が発生し、なかでも大和デパートの崩壊は福井地震の象徴となっています。
-
- ↑地震直後の大和デパートの様子
- 不死鳥(フェニックス)の由来
- 第二次世界大戦における米軍による空襲で焼け野原になり、その後、福井大地震も経験しながらも、再び立ち上がった福井市民の努力は、まさに不死鳥(フェニックス)の姿にも似ていることから、不死鳥が福井市民及び福井市のシンボルになっています。
不死鳥とは、伝説上の霊鳥フェニックスのことです。形はワシに似て、赤や金の翼を持っています。死期が来ると、みずから燃える火中に入って焼かれ、その灰の中から再生すると言われています。
このマークは、福井市のシンボルである不死鳥(フェニックス)が翼を広げた様子をシンボライズしたものです。福井市の花「あじさい」をイメージした背景のなか、今飛び立とうとする不死鳥が、「やさしさと活力のまち」をめざして未来にはばたく福井市を表現しています。