1948年6月28日、午後5時13分(当時はサマータイム制度をとっていたため、現在の時刻では午後4時13分)福井県丸岡町を震央とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。この地震で、当時の気象庁震度階級では最大であった震度6を記録し、その後、同階級に震度7が追加制定され、2年後の1950年には建築基準法が制定されるなど、震災後の地震学、地震工学、耐震工学に大きな影響を与えました。県内の被害地域は、今立郡から福井市を経て、金津町に至る南北約60キロ、東西約20キロの一市六郡に及び震源域内はまさに壊滅状態だったといえます。被害者数および被害家屋数等は以下に示す通りで、1995年に起きた兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に次いで戦後2番目となる大きな被害をもたらしました。
死者 | 5,268名 |
負傷者 | 10,194名 |
全壊家屋数 | 35,437戸 |
半壊家屋数 | 5,881戸 |
消失家屋数 | 3,931戸 |
上の写真は地震後の大和デパートの様子です。
福井地震は都市直下で発生した地震(直下型地震)で、兵庫県南部地震と共通する点が多いと言われています。例えば、強震動が発生し多くの家屋が全壊したことや、地震後の火災で多くの財産や人命が奪われたことなどが挙げられます。特に、出火・延焼による被害は甚大で、出火から約1時間後には大火に発展し、約16時間後には福井市中心部一帯が焼けてしまいました。福井地震による死者の主な原因は、この火災であったとされています。
また、この地震により各地で液状化が多発し土木構造物(トンネル,橋梁,ダム,堤防など)およびライフライン施設(上・下水道システム,変電所,ガス供給システムなど)、運輸システム(鉄道など)などに大きな被害を及ぼしました。鉄筋コンクリート構造物にも大きな被害が発生し、なかでも大和デパートの崩壊は福井地震の象徴となっています。さらに、福井平野一帯で地割れが多発し、農作業中の女性が地割れに挟まれて死亡するなど、日本では珍しい事例となって残されているものもあります。